三階席のメモ(歌舞伎が多め)

三階席の素人客が、感想メモやら気になった記事をとっておいた。この場を借りて自身の備忘録とする。

『仮名手本忠臣蔵』「大序」の備忘録 〜〜芸談・型・劇評など〜〜

※随時更新します。

一昔前の歌舞伎は実に創意工夫にあふれ、色彩豊かな芝居が繰り広げられていたことを諸先輩から教えられた。同じ芝居でも演じる役者により、様々な芸系が読み取れたらしい。

時代の流れは已むをえず、現在の伝承の糸は甚だ心もとない。

先輩の「芝居がひといろになることほどつまらないものはない。」の言葉を重んじ、様々な型の世界を覗いてみる。劇評には芸の規範を感じとる勉強になることは勿論、現行と違う演出が記載されてい場合がある。可能な限り劇評も拾うことにした。

またこの項では考証的な面を重視せず、巷間の言を記載する。伝承されている、されたことになっていることを一旦ここで卓上に上げることが目的だからである。

 

高師直

芸談

合引の高さ 13片岡仁左衛門

中合引よりもう少し低い合引に、大阪型では、師直が掛けたことがあるんですよ。これはやっぱり見た目が悪いですよ。合引に掛けていて一番困ることは、顔世御前が出ましてね、〽申上げたる口元に、下心ある師直は、小鼻いからし聞き居たる」という、ところ中啓を持って、こう構えています。(中略)両手でおさえて極りますと、それをします時、中合引だと形がつかない。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

 

7坂東三津五郎

師直は、三好屋のおじいさん(七代目市川團蔵)のが結構でした。「大序」で、顔世を口説いている間が、厭な奴で、皮肉で、而も色気があるのですが、ああ云うところは味ですから、何とも申せません。(『三津五郎芸談』和敬書店 昭和25年12月)

 

17中村勘三郎

大序で、顔世が出て来た時、身体を乗り出してニヤつくのは六代目型にはないので演ませんが、でも、多少、相好を崩す様にはやっています。若狭助と顔を見合わす、三ッ目の正面で、團蔵型の様に真正面に見合ってグッと睨む様にするのはおやじさんはしないので、私もこれをしません。併し、グッと反るのを三段にキッパリとやっています。初日には顔世への付け文を後見から受取ってやりましたが、これはうっかりとそうしたので、二日目からはちゃんと自分で出してやっています。この懐ろから出すのは、右からモゾモゾと出すより、右の袖口からハッキリと出した方が時代でキッパリとしていいと思い、明日からそうするつもりです。(中略)大序と三段目とでは、どっちも難かしいけれど、まア三段目の方が心持楽です。(加賀山直三/編、『演劇界』昭和33年4月号)

 

幕切れの型 13片岡仁左衛門

幕切れで、師直が足をかけて、カァーッと見得をきって幕にする人と、真正面向いて、下でこう袖を拡げておいてパッと前へ合せ、束で見得するのと、二タ通りあるんですけれども、あの錦絵なんかで、風流なのは、皆やっぱりこうやっていますね。段にあがらぬ型、上手正面むきで立って、判官がいて、若狭・・・・これ、時代で様はいゝんじゃァないですかね、段に上がらないで・・・。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

 

17市村羽左衛門 6菊五郎から教わった師直の性格

師直は敵役だけではいけない。色敵的な性格も併せもたなければならないと六代目から教わったという。また、風格を備えるために顔も爺のように黒過ぎてもいけないし、皺もあまり描いてはいけないとのこと。(市村羽左衛門 山川静夫 対談映像より)

 

批評・研究

カシラ

大舅(カシラ塗色・白)(齋藤清二郎「文楽首分類表」『文楽首の研究』昭和18年6月)

 

7市川團蔵の師直

幕切れの居所
明治42年10月東京座所演。「早ええわえ」で、今度は判官だけが坐る。師直は石段から降りて歩を進ませ、立っている若狭と附廻りになり、若狭が又切りかけると、判官が立って来て両人の真中へ坐る。師直は左の袖を横にしてこれへ中啓をあて、若狭を横に睨んだ形で幕になった。(鈴木春浦「忠臣蔵の大序」『歌舞伎の型』昭和2年10月 寶文館)

※この型は昭和30年2月大阪歌舞伎座で8訥子が復活したらしい。(志野葉太郎「仮名手本忠臣蔵の大序より四段目」ーー変わり演出のいろいろーー『型の伝承』平成3年11月演劇出版社

 

8市川團蔵が記録した7團蔵の師直

明治27年2月新富座 師直=3九蔵 若狭=7訥子 判官=2芝鶴 顔世=2多賀之丞

大序で中高の合引に腰をかけ、〽高の師直、でキッパリ極まらないので、つけも入れませぬ。顔世の、「ハアー」という声で揚幕をながめ花道から顔世の姿が見えると段々顔が崩れて笑顔になるのです。「還御だ」で石段に上がらず、居所のまま極り、上手へ行き高合引にかけます。「早え早え」があり、幕切れは二人とつけ回って師直が下手、真中が判官、上手に若狭之助で極ります。(8市川團蔵『七世市川團蔵』昭和41年12月 求龍堂

 

明治42年10月東京座で大序、三段目(裏門なし)、道行の三幕で出した。遠藤為春曰く「大序の師直で、若狭之助が這入るとき、下手、上手から辞儀をすると顔をそむける、トド正面から辞儀をすると、いまいましそうな顔をして、今度は若狭之助の方へ顔を出し、挨拶を受けるような様子をして、若狭之助が頭をあげると、師直も段々あげる。あの憎く憎くしさは、いまだに目に残っている」とのこと。

父の大序は、いつも段切まで演じます。他の人は、「還御」で、幕になるとばかり思っていたと見え、稽古のとき「オヤオヤ、大序にまだ、こんな所があったのか」といいました。(8市川團蔵『七世市川團蔵』昭和41年12月 求龍堂

 

「早えわ」までの幕切れ 戸板康二

戦後は、直義の行列が上手から出て、花道へ入り、そのあとについて判官と若狭助が行きかけるのを、師直が若狭助に対して「早えわ」と呼びかける幕切れまで完全に演じるようになった。この型は一時亡びていたのを、七代目市川團蔵が明治に復活したのである。(人形では、ここで師直が呼びとめる「早えわ」を、人形づかいが声に出していうことになっている。)(『名作歌舞伎全集』第2巻 東京創元新社、昭和43年9月)

  

「早いわ」まで演っての幕切 三宅周太郎

昭和23年2月大阪歌舞伎座 師直=2猿之助 若狭=7三津五郎 判官=7宗十郎 顔世=3時蔵 直義=3段四郎

師直が二重上の見得は珍しい。これは平舞台で師直が上手、中に判官、下手に若狭と三人の見得が普通だ。尤も、先代段四郎のみ、大正四年の新富座の時、その師直は下手、上手に若狭がいて幕にしたが、当時の鴈治郎の若狭を大事にするため、先代段四郎が遠慮して下手にいたかと察せられた。(「忠臣蔵」『幕間』第三巻 第三号)

※大阪で東京の役者による東京風の芝居だ。大阪では戦前必ずと言っていいほど「還御」までだったらしい。当時の関西人の目には珍しく見えたことだろう。写真を見る限り現行の幕切れと同じようだ。ちなみに同じ月京都南座でも忠臣蔵がかかっている。師直=6簑助 若狭=2鴈治郎 判官=6寿美蔵 顔世=10雛助 直義=11三右衛門 こちらは「還御」まで。

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昭和23年2月大阪歌舞伎座の舞台 師直=2猿之助 若狭=7三津五郎 判官=7宗十郎

 

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昭和23年2月南座 「還御」で幕 師直=6簑助 若狭=2鴈治郎

2延若の好色味は『歌舞伎 型の伝承』に詳しい

〽小鼻いからし」で延若はすべらした右手をその儘にして左手を添え前屈みに覗き込む形になるところや、顔世の肩に手を廻し抱く様な形になる所だの(これは今では誰でもやるようになったが、)好色な感じに溢れていて面白かった。(志野葉太郎「仮名手本忠臣蔵の大序より四段目」ーー変わり演出のいろいろーー『型の伝承』平成3年11月演劇出版社

 

戸板康二の2延若評

ぼくは延若では、何とも好色な、体臭のなまなましい師直のおもしろさを、まず忘れかねている。大序で、顔世御前の姿に見とれ、「小鼻いからしききいたる」という所で、上半身を斜めに倒して、じっと例の「蕩児の横目」を利かせたあたり、妙に行儀のよすぎる先代中車や、活歴風で木を噛んだような味のない先代幸四郎のを見なれていた目には、びっくりするほど、色気のある、いかにも歌舞伎の味の濃い高師直だった。 (戸板康二『新版 忠臣蔵東京創元社 昭和36年7月)

 

加賀山直三の師直評

私の見た中では、好色味一方の傾向は濃かったけれど、故延若が第一の人だったと思う。評判だった菊五郎のは丸本物のいろ気不足でそれ程ではないと見た。先代中車のはコチコチに過ぎ、幸四郎のは活歴気分と型の平談俗語式の出鱈目さに悩まされた。(加賀山直三「舞台鑑賞手引」『幕間』第九巻 第十二号) 

 

2鴈治郎は河内屋式の師直 児玉竜一 山田庄一 

児「二代目鴈治郎の師直はご覧になってますか?」
山「ええ、見てます。まあ、それなりに面白かったよね。やっぱり彼はね、河内屋。」
児「ああ、心酔だから。」
山「うん。心酔だから。だから河内屋式で、やってました。ただ江戸弁にはなってないんだけど。」
児「そうなんですねえ。ええ。艶っぽくないですか?二代目鴈治郎は。」
山「まあ、多少艶っぽいところはありますね。どうしてもそれは、芸風が、艶になっちゃってる。」(「座談会ーー昭和の忠臣蔵」『歌舞伎』平成24年5月)

 

前進座 市村座第三回公演 三宅周太郎

大序は普通、亀松の直義、翫右衛門の判官、調右衛門の若狭之助、燕丈の顔世だ。この中では亀松がいい。長十郎の師直は大時代なやり方で悪くないが、ふけて見せようとするため、首や腰をかがめすぎて風采が揚がらない。(『続演劇巡礼』中央公論社 昭和16年7月)

 

5富十郎の師直 昭和58年12月歌舞伎座

上村以和於 評

型としては股間を押える、小鼻いからしなど、卑猥と言われる演り方をとっているが、それが変な芝居にならずしかもユーモアになる(『劇評』「仮名手本忠臣蔵」の役々 第34号 昭和59年10月

 

師直の台詞 上村以和於 二川清

上「師直でも例えば、「そでねえときは」を「そうでなければ」と普通に開いて言うのも、一つのやり方だけど、それならそれで通さないとね。
二「そうでなければ」と言いながら、一方では「さむれえだ」とやる。全部通してない訳。(「仮名手本評判蔵」『劇評』 第53号 昭和63年11月

 

17勘三郎の師直評

総じて世話味勝ちぎて品格崩れな点で評判が芳しない。(「当世いろは評林」『劇評』第46号 昭和62年5月)や(「座談会ーー昭和の忠臣蔵」『歌舞伎』平成24年5月)参考。

 

 二川清(17羽左衛門の師直について)「大童」なんてのも、もっと張って言わないと面白くないですよ。「清和源氏は」と言う処で切っちゃったり。サラッと言うだけで、要するに時代の味がないですよね。(「戯園百寿諧評談」『劇評』 第78号 平成8年8月

 

若狭之助を打つ処 二川清 上村以和於

二「(17羽左衛門は)若狭の刀と胸を打つ処は、本当なら自分の胸を打ってから相手の胸を打つのに、自分の胸を打たない。」
上「あの世代の人でもそうなのかなあ。」(「戯園百寿諧評談」『劇評』 第78号 平成8年8月

 

平成21年11月歌舞伎座 富十郎の師直の台詞

若狭を罵倒するところ、通常誰でも歌舞伎の入れ事で「バ、馬鹿な面だ」と言うところ、「うつけな侍だ」と言ったのは、なにを参考にしたのだろうか。(筆者メモ)

 

橋之助(8芝翫)の師直

平成中村座芝翫が師直を勤めた際は富十郎から教わった。(「芸に生きる」中村橋之助) 

塩冶判官  

芸談

・・・顔世の顔を見るか、見ないか・・・

7坂東三津五郎

5菊五郎の判官は、三方を持って入るところは顔世の顔を見ない演り方。ここは見てはいけない、見なくてはいけないという、両方の説があってよく分からないとのこと。6菊五郎は五代目通り見ない演り方だが、7三津五郎は見るという。いつか川尻清潭に聞いたら、昔の本には見ているものがあると言ったとのこと。直義が居たら具合が悪いが、もうその場には居ないので、見ていいわけとのこと。(『三津五郎芸談』和敬書店 昭和25年12月)

 

8坂東三津五郎

大序の判官で、六代目菊五郎は顔世の顔を見てはいけないと教えていますが、亡父(7三津五郎)は祖父守田勘弥から助高屋高助の判官が引込む時、立ち上がってちらりと顔世の方を見て引込むのが大変情があってよかったと聞き、それを私に伝えてくれました。(手を突いておじぎしている顔世を)それをちらりと見て置いてやると、四段目の顔世に情がうつるのだそうです。(『歌舞伎 虚と実』坂東三津五郎 玉川大学出版部 昭和48年10月)

 

6尾上菊五郎

大序の役々の中で顔世御前の顔を見ているのは、此師直だけで外の役は、一切顔世の顔は見ないのがいゝのです。(『藝』改造社 昭和24年7月30日)

 

7尾上梅幸

この場は師直以外は誰も顔世の顔を見てはいけないという口伝があるとのこと。公式の場だから顔を合わせるのをはばかるゆえ。しかし、夫婦の情からしてそれとなく顔を合わせるのも良いという考えもある。なので、梅幸自身も一度顔を見合わせたこともあるが、具合が悪かったのでやめたという。(『季刊 歌舞伎』「忠臣蔵特集」第二号)(筆者注※17 羽左衛門は演り方について「(顔世の顔を)判官は見てはいけない。音羽屋系の口伝というのでしょうか。」(「『忠臣蔵』芸の伝承」『歌舞伎の表現をさぐる』)と言っている。例えば、昭和61年2月の映像にある7芝翫の判官は、顔世の方を見て軽く頷く。菊五郎劇団に居た人だし口伝も当然知っているだろうが、7三津五郎の言うように見る見ないどちらの演り方もある。人によって色々な演り方があって良い。)

 

13片岡仁左衛門

塩冶判官が師直と若狭助にあいさつをしてから例の前に置かれた三宝の兜を持って立ち、顔世の方をチラッと見る。というのは、これはまァ、お客はハッキリ気が付かないけれども、役者には肝腎なことでね、あすこだけしか判官が顔世と目が合うところがないんですね。こゝは、芝の小父さんが(六代目菊五郎)がやかましく言われていたように、見ておかないと、もうあと夫婦の情愛を見せるところは一つもないわけですね。で、そこで、こう、御承知のように左手で持って、右手で長袴を持ち「大儀だったな」という気持ちでチラッと見て、入っておくと、大変に情がある。あすこを、知らん顔して入る人もありますけれども、これは是非顔世を見てやりたいものですね。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

※六代目は見てはいけないという教え方が一般的に認知されているが、仁左衛門の目から見た六代目は少し違うようだ。

 

烏帽子について 13片岡仁左衛門

判官もこれ皆烏帽子についてる紐(房つき)を、挟んでいる人がある、(『勧進帳』の)富樫か何ぞのように。しかし、あれは絶対に挟んじゃァいけませんよ。時代物の姿なんだから、大序は。ですから、こう締めたら両方共垂れてなきァ。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

 

7尾上梅幸

最初の人間になる時は、七五三の三の間で、一番穏やかに大人しく起る処に判官の性格があります。(「忠臣蔵版 新・御狂言楽屋本説」『季刊 歌舞伎』第二号 昭和43年10月)

 

3中村梅玉 判官について

大序の判官はせりふにもただの一口で役がわるいようですが、これもこの節のように「還御」で幕にせずほんのすこしの事ですから段切まで行くと無言のままながら師直と若狭との応答を陰で見て一芝居あるので気もよくなりますし、判官だけでなく師直の役もよくなりますので、先年没した多見蔵さんの師直の時「還御」で打切らず段切までと主張されたことがありました。(後略)(「演芸画報昭和13年11月号)

批評・研究

 カシラ 

アオチとネムリの検非違使(油付き、烏帽子付)(齋藤清二郎「文楽首分類表」『文楽首の研究』昭和18年6月)

桃井若狭之助

芸談

左様にては候まじ 13片岡仁左衛門

(加賀山)「若狭助は、下手をすると喧嘩を売ってるように見えるけれども・・・・。」(13仁左衛門)「一番私たちやかましく言われたのはですね。「アヽ、イヤ、左様にては候まじ」という時の第一声が一番むずかしい。「左様にては候まじ」というと喧嘩を売ってるみたいでしょう?「左様にては候まじ」は、穏やかに言わなければいけない。あ、あいつ生意気だと、師直ならずとも嫌な奴だなと思われるからと、言われました。唯、義太夫なんかですと、早い言葉でいゝますからね、人間の役者が言う場合には、あんなに言わなくてもいゝわけですからね。注意するところは、そこぐらいでしたね。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

批評・研究

カシラ

アオチとネムリの源太(油付、烏帽子付、カシラ塗色・白)

 

若狭之助の適役を考える上でのヒント 津金規雄

辰之助が生きていれば、この役は彼が一番良かったんじゃないかと思います。吉右衛門は明らかに仁が違うと思いますし、孝夫も役者が大きくなり過ぎている気がしました。」(「仮名手本評判蔵」『劇評』 第53号 昭和63年11月

顔世御前

芸談

6尾上梅幸の『梅の下風』が有名。

 

兜改めのしぐさ 懐紙をくわえるか手に持つか

紅若が大序の顔世で兜を見るとき、懐紙をくわへ、両手を突いて、竜頭の出るまで一々首を振って、違う仕種をしたので、父が「あれでは犬のようで色気がない、左だけ突いて右手に懐紙を持ち口の所へやり、違うという仕種は、その紙でしたり、少し首を振ったりすると同じことばかりせずに済む。」(中略)後年東京座で、顔世を女寅が勤め、その次に歌舞伎座成駒屋が勤めましたが、前者は懐紙をくわえる型、後者は手に持つ型なので、「なるほど、さすがは成駒屋さんだ」と、紅若が感心していました。(8市川團蔵『七世市川團蔵』昭和41年12月 求龍堂

 

批評・研究

カシラ

老けおやま(唐毛すっぽり、花櫛、カシラの塗色・白)(齋藤清二郎「文楽首分類表」『文楽首の研究』昭和18年6月)

 

渥美清太郎

大序で大きく変わったのは、顔世御前。幕末までの歌舞伎では顔世は幕切れまで残り、師直と若狭之助の間へからみ、最後の三人の見得の時は下手に控えてお辞儀をしていたらしい。(「役者」第5号 昭和22年11月) ※但しこの文だけだと、”幕切れ”が「還御だ」か「早いわ」までのどちらを指すかが曖昧。

 

顔世の台詞について 三宅周太郎

(3代目)時蔵の顔世もあでやかで、故梅幸のそれが帝劇でやった時、花道が使えぬため、舞台下手ですべてのせりふをいった。それが例となって舞台でせりふをいうのが多いのに、時蔵は花道でいうのは古風で面白い。(「忠臣蔵」『幕間』第三巻 第三号)

※一時の都合によって演じたものが”型”だと称されて伝わる危険を孕んでいる。

 

顔世の心

ここの顔世の師直との件は唯当惑して居るのである。上臈育ちで、斯うした危機の適当な処し方が分らず、唯もう千々に心乱れて当惑して居るのである。師直を憎らしさうに見たり、憤慨したり、若狭助に救はれ、ツンとすましてのうのうと花道を引ッ込んだりする人があるけれど、全然以っての外、花道の引込みには、虎口を逃れてホッとした思ひと、師直の怒りを買って夫判官に難を及びしはしないかとの憂ひに、救はれてイソイソ心配でシホシホの、入れまぜの気持なのだ。師直のツケ文を、袖口から出して、身体の後ろから廻してソッと捨てる。これは上臈の躾けのよさから来るエチケットと思ひ遣りを現す型で、その心持が出て居なければ何の事か分らないだろう。而も、さう云った人を往々に見かける。ひどいのは、後ろへ廻す科さをした後、ポンと下へ抛るのが居る。演者自身が科さの意味を知らないのだから論外である。(加賀山直三「舞台鑑賞手引」『幕間』第九巻 第十二号) 

 

顔世御前の素足

13片岡仁左衛門

岡鬼太郎は、大時代で古風な色気を出すには素足の方がいいという説。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

 

加賀山直三

艶色と大名の奥方としての品格、儀礼、淑やかさ、そしてそれらを全体を覆ふ丸本歌舞伎の奥方役、上臈役の、多少草双紙的な感覚がなくてはなるまい。その意味で、常に問題になる、素足か足袋を履くかは異議なく素足であるべきで、団菊流の本格とされて居る足袋派は、明治の第一期歌舞伎感覚破壊時代的な考へ方とすべきだ。(加賀山直三「舞台鑑賞手引」『幕間』第九巻 第十二号) 

 

「着るならば」 二川清

「兜に焚きしめ着るならば」を「着るなれば」と言う。こういう間違いは直した方がいいと思うんですがね。「なば」と「なば」は大きく違いますから。「仮名手本評判蔵」『劇評』 第53号 昭和63年11月

 

7芝翫の顔世について 津金規雄 上村以和於 清水一朗

津「一々リアクションするんです、兜を出す度に違うとか、とてもそんな物ではないとでもいうように笑ったり、馬鹿馬鹿しいといった顔をする。」
上「もともとそういう癖はある人だけどね。」
清「悲劇の原因となる女性の色が薄くなってる。」(「戯園百寿諧評談」『劇評』 第78号 平成8年8月

足利直義

芸談

8 坂東三津五郎

直義の台詞について『歌舞伎 虚と実』に詳しく語っている。

「いかに師直」を甲から出ること。浄瑠璃をチャンと稽古しておいて、歌舞伎風に言えばよいので、ナマリは浄瑠璃と同じで、それを歌舞伎の若立役、若太夫の役としていうので、足利直義の品位と若太夫の位とがダブらなければいけない。

息のつぎ所にも約束があったり、「最期の時着つらん事うたがいはなけれども」ーーこれを息を間でつたら駄目。

 

13片岡仁左衛門

上手を向いて、人形のように、爪先をあげないで摺足で入るんです。段々もあれは一足ずつ降りるという、まァ武将と公卿とは違うだけれども、あの場面と位附けのためでしょうね。そういうふうに立派に見せる、こう右足から降りて、左足をそれにそえるというのは、人形足という。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

 

17市村羽左衛門

太夫筋の役者が勤める場合、金烏帽子の紐が紫、石段の上で草履を黒の木沓に履き替えて降りて、下へ降りると両袖を広げて廻る。

櫓元以外の役者が勤める時は、紐は白で、石段の下へ降りてから木沓に履き替えて、片袖広げて上手に向く。など細かに役者の位によって定め事がある。(「『忠臣蔵』芸の伝承」『歌舞伎の表現をさぐる』平成13年10月 演劇出版社

 

8澤村宗十郎

段から降りる降り方は三津五郎さんからも教わりました。降りてから袖を捌くのは、上手へ曲り乍らするのが普通で、大和屋さんも市村さんもそうなのですが、私は今度、正面向きで捌いて稍々きまってから上手向きになるキッパリとなるやり方の方にして見ました。(中略)二度目の出はキッカケが難しいのです。〽悪事栄えて」で勘三郎さんがお辞儀するのをキッカケに出ます。花道迄行き、〽直義公は悠々と」で、きまる様なきまらない様な風に一寸きまるのですが、このイキも難しいと思います。直義の役は、何もしないで簡単な役の様でいて、気のはる難しい役だと思います。(加賀山直三/編、「演劇界」昭和33年4月号) 

 

6澤村田之助

ここは役者の位取りが大切。「如何に師直」の台詞を師直が呂の声で「ははァ」と受けるのにはじまり、すべて客席の隅々まで通る心持ちで、しかも品位を保ってキッパリ言うのが定めとなっています。最後に顔世にいう、「目利き目利き」のてっぱりあたりになると、喉が干上がるような苦しさです。この役の沓と太刀は若太夫の家柄の者だけが穿くという話しも伺っていますが、どんなものでしょうか。(『季刊 歌舞伎』「忠臣蔵特集」第二号)

批評・研究

カシラ

若男(油付、切藁、金冠付、カシラ塗色・白)(齋藤清二郎「文楽首分類表」『文楽首の研究』昭和18年6月)

 

5八十助(10三津五郎)の直義 昭和58年12月歌舞伎座

上村以和於 評 

八十助の優等生らいし、きちんとした演技がいい。品も悪くないし、近頃の直義だったと思う。「ウタガイハナケネドモ」なんて口伝も、ちゃんと勉強してね。大序で第一声を発する人としてふさわしい。(「仮名手本忠臣蔵」の役々 『劇評』 第34号 昭和59年10月


木本公世の

「顔世大義」の辺に情があり過ぎる、顔をそちらへ向けますし。もうちょっと無性格に演る方が正しいんじゃないでしょうか。

という指摘は興味深い。これに対し

清水一朗は

今の役者にはそれが出来ない。ただ正面を切ってるだけだと、役になれないような気がするのかな・・・

と応じている。 

 

直義役者とは 上村以和於 津金規雄 清水一朗 木本公世

上「やっぱり太夫元の役でしょう」
津「芸もありますが役者の家柄などで嵌まる役じゃないですか。」
清「以前は市川三升がやったり関西では林又一郎がやっている。つまりそういう役者がやっても可笑しくない役なんだね、きっと。いわゆる抑えの役なんだ。最近では若手や女形が演ることが多くなった。」(「仮名手本評判蔵」『劇評』 第53号 昭和63年11月

 

木「争われない高貴さみたいなものが欲しいですね、白塗りの貴公子という。」
清「あの役はそうでなくてもいい。最近は概して白塗りで若い役者がやってるけど。以前は年輩の人もやってる、菊次郎とか九朗右衛門とか。」(「戯園百寿諧評談」『劇評』 第78号 平成8年8月

 

8坂東彦三郎の直義評 上村以和於 二川清 津金規雄 

上「彦三郎は台詞がモゴモゴする不足はあるが、一応きっちり演ってる。今の直義としては悪くない。」
二「声は悪くないが、ただ一本調子で変化がない。」
津「こういう役の場合は一本調子でも、何となく聞いていられる気がするんですね。」
二「有名な「兄尊氏に滅ぼされし」とか、「後醍醐帝より賜りし」をちゃんと一言で言う。ここの処は随分勉強してる感じがしたが、その後の肝心の難しい処「十二の内侍の」が駄目。五七五で切ってる、前の方はちゃんとやってながら、勿体ないと思う。(「戯園百寿諧評談」『劇評』 第78号 平成8年8月

 

直義について 加賀山直三

今では声変り前後の御曹司の役なのだが、私は見なかったけれど、五世福助など、近世最高の直義であった筈だ。品位、鷹揚さ、すずしさ、規格正しさ、若々しさなど殊に必要な役で、第一声の発声を上から出すべき約束が端的にこれを証明して居る。私の見た中で、時々呂の声を出す人があったが、そんなのは完全に落第である。いろいろな人の中、多少芸に不足があっても、十六代羽左衛門など、絶好の直義役者の風格を具へて居た事を思ひ出す。(加賀山直三「舞台鑑賞手引」『幕間』第九巻 第十二号) 

 道具

唐櫃について

8坂東三津五郎

近頃幕が開いた時、真中に唐櫃を置いてありますが、あれは銀杏の木の前に置いてあるのが昔のやり方で、「御上意の下侍」というところで真中へ持ってきたのが、いつの間にか、幕の開いた時から、真中に置いてあるよになったのです。それからその唐櫃も大正年間から白木になったので、その前は木目を画いた、「太功記」十段目の鎧櫃と同じ物だったと父から聞きました。(『歌舞伎 虚と実』坂東三津五郎 玉川大学出版部 昭和48年10月)

 

8坂東三津五郎

七代目三津五郎が「(櫃が)昔は白木じゃなかった。白木になったのは堀越のおじさんからだよ。その前は鎧櫃と同じように杢目が書いてあった」って。それが九代目から、今の形になったというんです。(「忠臣蔵版 新・御狂言楽屋本説」『季刊 歌舞伎』第二号 昭和43年10月)

 

藤浪与兵衛「唐櫃に〆縄を張った方がいいというのと、張らないでくれというのと両方があり、金物の錠前も、鉄にしてくれというのと、金にしてくれというのとあります。」
長谷川勘兵衛「さっきの銀杏の木にも〆縄を張るのと、張らないのがあります。」(「忠臣蔵版 新・御狂言楽屋本説」『季刊 歌舞伎』第二号 昭和43年10月)

 

銀杏の葉を定まりの黄色から六代目彦三郎の提言で青い葉に変え、岡鬼太郎がこれに怒った楽屋話の一部が挙がっている。(「忠臣蔵版 新・御狂言楽屋本説」『季刊 歌舞伎』第二号 昭和43年10月)

 

13片岡仁左衛門

(唐櫃)の位置について。この頃は下手に置いてあるが、儀式性を重んじれば最初から真中に置いておく方が良いという見解。11代目仁左衛門は白木の櫃を嫌ったそう。木目を書いた黒っぽい櫃で〆縄もなし。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

 

昔の道具 長谷川勘兵衛

大序の道具も昔はずっと単純だったらしいです。高足の二重へ石垣の蹴込みを当てて、その中央に石段、後に石の玉垣を置く・・・そんなものだったようですが、私が知ってるのは今のとおりです。(「忠臣蔵版 新・御狂言楽屋本説」『季刊 歌舞伎』第二号 昭和43年10月)

 

口上人形・東西触れ

8坂東三津五郎

口上人形の、「役人替名トザイ東西」と呼ぶ東西声も座頭だけが「トザイトザイ東西」と三声、あとは二タ声。あいだにはいるエヘンエヘンの咳払いも役者の格式によって二タ声の時も、三声の時もある。(『歌舞伎 虚と実』坂東三津五郎 玉川大学出版部 昭和48年10月)

 

口上人形のはじまり

安永2年(1773)市村座で、初世尾上菊五郎が由良之助・勘平・戸無瀬三役を勤めて『忠臣蔵』を出した時にはじまる。明治のころまで、口上人形は人形浄瑠璃方に借りに行ったものだという。(「忠臣蔵版 新・御狂言楽屋本説」『季刊 歌舞伎』第二号 昭和43年10月) 

 

清水一朗

開幕前の口上人形の台詞も役者が幕の後からであっても台詞が客席に通らないようでは困る。歌舞伎座ときはマイクを使ってたのは驚いた、今回は使ってないと思うけど(「当世いろは評林」『劇評』第46号 昭和62年5月) 

 

13片岡仁左衛門

東西触れにも大阪式があったという。つまり三つ五つ七つの順番で言うという。また柝を打つのは出打ちをしてほしいとのこと。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

 

蛇の目廻し

蛇の目廻しは、昭和4、5年頃まで歌舞伎座にあった。間もなく内廻しを壊したそう。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

その他

各役々については六代目菊五郎の『藝』に詳しい。

 

明治40年11月歌舞伎座忠臣蔵一日替り(由良之助より三人の猟人迄の役々を一日替り)興行の批評は三木竹二『観劇偶評』載っている。

 

13仁左衛門川尻清潭から、漏斗に座らないで真正面を向かなければならないということを学んだ。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

 

13片岡仁左衛門 動きの技巧

お辞儀の仕方一つにしても、もう簡単にすッとお辞儀をするだけだけれども、やっぱりお辞儀をする前には、こう袖を両方に払って、顔を見て、改めてお辞儀するというだけの間がいるわけですね。ただ、こう、すッとお辞儀をしただけでは、具合が悪いんです。こういう一寸した動きにアヤをつける歌舞伎の技法とでもいいたいものが、今日の歌舞伎のすべてに渡ってどうも欠けて来ていると私には思われます。現代劇とか新作物は別ですけれどね。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

 

浜村米蔵 並び大名について

直義の菊之助が上上吉だ。即ち大だ。おっとりしていて品位がある。何か犯し難いものさえある、これは本当に頂上である。いつまでもこの持味を忘れないで貰いたい。困ったのは、うしろの並び大名のうちで、左右いずれの目のつき易いところで、人形ぶりでないのが一人宛居る。別に行儀が悪いというのではないが、頭を下げていないのである。或いは、当人たちは下げているつもりかも知れないが、顎を引いている位で目も半眼でない。みんなが一様に下げているので、ひどく目障りである。(「忠臣蔵」の通し 『演劇界』昭和41年1月号)

 

雑式について

こう石みたいなのを置きましてね。その石に腰をかけているんですよ。これはおかしいです。とんでもないことだと思うんですが、あれは昔はちゃんとしゃがんだものだけれども、今のように変な石に腰をかけるぐらいなら、むしろ隠れた小さい合引でもした方がいゝんですけれどね。(『国立劇場・歌舞伎の型1 仮名手本忠臣蔵雄山閣 平成28年12月)

 

清水一朗

雑式が合引の代りに箱を置くのは変だな、兜改めのときに下座の前に残ってるのは異様です。(中略)あれは合引で後見に片付けさせるべきだと思う。(「仮名手本忠臣蔵」『劇評』 第14号 昭和55年5月

 

清水一朗 上村以和於 津金規雄

清「もう一つ疑問に思うのは、下手の黒御簾の前に控えている雑式が腰掛けている細長い箱のようなもの。確か52年のときは小さな箱でした。それがいつの間にか、長い箱を置くようになって雑式がそこへ腰掛けるようになっちまった。」
上「あれは蹲踞しているんでしょ。」
津「寺子屋の捕手と同じ形でしょうね。あのときはかなり長い間我慢しているのに、何故できないのだろう。」(中略)「それも演出の崩れですよ、そこを今回はきちんと正して行くべきだったんじゃないかな。」(「当世いろは評林」『劇評』第46号 昭和62年5月)

 

還御で幕切れにするデメリット 上村以和於

「二タ月とも「還御」で切った。時間が短くなり、時間だけじゃなくて短くなった方が全体が引締まるとう面もあるが、善悪両方ある訳で。「早ェわ」が巧く行くならいいけどね。ただ「還御」で切ったために決定的に詰まらなくなのは幕切れ、若狭が切りかかるのを判官が止めて見得になる。大序だけでなく後の三段目につながる作意がね。初めて歌舞伎を観た人は若狭之助を浅野内匠頭と思って見ている訳。それが三段目に来てドンデン返しになるのが作意にあるはず。それをあそこで象徴して見せる面白さがなくなっちゃうのが、詰まらないね。(「仮名手本評判蔵」『劇評』 第53号 昭和63年11月

 

大序の儀式性を保つには

清水一朗

大序は一種の儀式でそれを進めて行くには、形容が出る。そこの踏まえ方が足らなくて、演技で写実にというギャップが、大序の”格”を崩していると思う。(「戯園百寿諧評談」『劇評』 第78号 平成8年8月 

 

清水一朗 上村以和於

清「”格”のことでは舞台を誰かがきちんと見ておいてくれないといけない。一番気になったのは大名たちの頭の下げ方、自分の背丈で下げるから中には浅い奴もいて、客席から見ていると全く不揃い。それに総体に芝居の時間が延びてると思うな。」
上「延びてる延びてる。無駄に歩いて時間が多い。」(「戯園百寿諧評談」『劇評』 第78号 平成8年8月

 

佐藤俊一郎「最後に一つ。顔世を呼び出す声がきっぱりしていて良かったですね、誰だったでしょうね。」
清水一朗「そういう役が皆いい加減になっている時代だからきちんと褒めておくべきですよ。」(「当世いろは評林」『劇評』第46号 昭和62年5月)

 

羽左衛門梅幸 渡辺保

六代目菊五郎羽左衛門梅幸に「歌舞伎会」を通じてこの芝居をよく教えたという。(「座談会ーー昭和の忠臣蔵」『歌舞伎』47号 平成24年5月)

歌舞伎会・・・会長・遠藤為春、主事・川尻清潭とし、六代目尾上菊五郎、初代中村吉右衛門、七代目坂東三津五郎らが指導し歌舞伎座若手俳優を指導した。

 

警蹕の声 

床の呼びで全部が目ざめると、同時に床の文句が切れ、一同シーイッと警ひつの声とともに平伏する。このシーイッと云うのと黙って平伏するのと二通りあるが、羽左衛門菊五郎幸四郎の団菊流のは必ず発生して居た筈である。(加賀山直三「舞台鑑賞手引」『幕間』第九巻 第十二号) 

 

菊五郎劇団の東西声 神山彰

大序の「とざい、とーざい」の東西声も、梅幸の頭取の梅次という人がやるんです。他は全然ダメな人ですが、この東西声だけは絶妙の響きなんだ。すると、実に一族で判官を支えているという空気が伝わる、何も知らない観客にも伝わると思いたい、そういう要素は大事だと思います。(「座談会ーー昭和の忠臣蔵」『歌舞伎』47号平成24年5月)

 

※敬称省略