三階席のメモ(歌舞伎が多め)

三階席の素人客が、感想メモやら気になった記事をとっておいた。この場を借りて自身の備忘録とする。

『仮名手本忠臣蔵』「三段目」の備忘録 〜〜感想編〜〜

見た芝居

平成19年2月 歌舞伎座 高師直富十郎 塩冶判官=菊五郎 若狭之助=吉右衛門 伴内=錦吾

「進物場」の本蔵は幸太郎、錦吾の伴内は黒鞘。誰の評であったか、「錦吾が三段目の伴内を振られるようになるとは・・」という悲嘆がこもった一文があった。当時はなんとも思わなかったが昔を知っている人から見れば、役者の払底を感じざるを得ないのだろう。『忠臣蔵』は歌舞伎の定点観測に具合が良いと思わされる。その錦吾の伴内は「エヘンバッサリ」と「敷居が高うござる」の方。〽手ぐすね引いて」は、大刀を左手、小刀を右手で抱えながら右足を踏み出して束に戻す。大小を抱えながら、右足を上げ片足立ちしてツケ入の見得。

「刃傷」吉右衛門の若狭之助。若狭之助にこんなに大きな役者が居てくれれば、つまらないはずがない。後で映像で見た吉右衛門の若狭は、花道から出て本舞台上手を睨みながら、逆七三で「対面」の五郎のように腰を三段にかがめる。ジリジリと二、三足を寄ってから、歩を進め七三で片膝立てた右膝頭ポンとを打って上手を見込むのが、〽待つとも知らず」の一杯。

富十郎の師直。調子を浮かめたり、落としたりの具合の余裕が、詫びを入れていながらどこまでも若狭之助の上に立っていて憎らしい事このうえなし。「バカな侍ェだ」で引込む若狭。歌を読むのは、「御免くだされ」と判官に断ってから、右手で中啓を拡げ、左手に持つ短冊を見えないように隠す心。一度目は黙読、二度目に頭から読んでハテナという感じで首を捻り、三度目も頭から読んで「この歌に添削とは」となる。文箱と雪洞は黒後見に片付けさせる。ちなみに判官が来てからは、師直は箱合引を使っていた。(判官との背丈の釣り合いを考慮してか)「鮒ェ、鮒ェ、鮒侍だ」で横向きになる際に箱合引を片付けていた。
「ピリピリピリ」で鮒のヒレを真似ての面白さと役者・富十郎を魅せたと思えば、「鮒侍だ」では、雰囲気を変えたなんて甘い言葉でなく、「忠臣蔵」の世界に、まさに事件現場に居合わせたような緊張感が包む。思えばとんでもなく凄まじい役者であった。判官は菊五郎

平成21年11月 歌舞伎座 高師直富十郎 塩冶判官=勘三郎 若狭之助=梅玉 伴内=橘太郎

この幕は勘三郎の判官に自身の期待と興味の関心が多くはらわれた。巧みな勘三郎と憧れの富十郎。役者が揃っているから飽きがこない。二年前に比べ、一層体は不自由なことも増えただろうが、そうした衰えが邪魔にならなかった。

「進物場」。幕開きは「時太鼓」。橘太郎の伴内。黒塗りの鞘。「エヘンバッサリ」と「敷居が高うござる」の演り方。〽手ぐすね引いて待ちかけたり」は目釘を湿らせ、右足を踏み出して束に戻しながら、右手で肩衣をしごく。左手は大刀をかかえ、両足を軽く膝を折って軽みを出し、ツケ入りの即見得。菊十郎の本蔵。

「喧嘩場」。梅玉の若狭之助。逆七三でにじり寄り、七三まで歩き、片膝立てた右膝をポンとうつのが〽待つとも知らず」の一杯。

〽襖の陰には本蔵が」で裏向きで姿を見せるだけ。若狭に詫びる師直の姿は、足が悪いだけに正座にならず、形が悪いかもしれないが、それは決してマイナス点にはならない。歌舞伎には年齢や体調を考慮した演じ方は許されるのだ。判官との諍いでも師直の足を崩した姿勢については同じことが言えるが、全く問題ではないと思う。富十郎贔屓の引き倒しではなく。若狭は「馬鹿め」と言って引っ込む。若狭を見送り、「うつけほど怖いものはないな」と言っていたが、(普通は「馬鹿ほど怖い・・・」)大序でもそうであるように、富十郎の”うつけ”という言葉に引っかかりを覚えた。

判官は勘三郎。判官の出の間、師直は葛桶に腰掛ける。茶坊主に文箱を持たせる演り方。師直は床几に腰かけたまま歌を読む。その間伴内が雪洞を師直の手元に掲げる。「御免くだされ」と断るが、中啓で隠すような仕科はしない。一度目は黙読。二度目は頭から読んで、「コリャこれ新古今集の歌、この古歌に添削とは」になる。〽わが恋の叶はぬ印」以降これらの間に床几を伴内に片付けさせ、足を崩して座る。「お手前この文ご覧うじたか・・お聞かせ申そう」などと言って、短冊を開き、客席へ(字面がはっきりと見えるように)見せつけるように左手で広げて持つ。「井戸替えの折に釣瓶にかかって」で閉じた中啓を逆さに持ち、下から上へ上げて釣瓶に見立てるのが変わっている。(大体は手にした中啓を下から上へという仕科をする程度)〽判官腹に据えかねて」で手を滑らす程度。「本性なら御身ゃどうするのだ」で師直は両膝立をして、ここまで、判官に対して小さく見えていたが、そうした見た様を解消していた。「東夷の存ぜぬことだわ」と言わず、「お身様が知ったことではないわさ」というのが変わっていた。

平成25年11月 歌舞伎座 高師直左團次 塩冶判官=菊五郎 若狭之助=梅玉 伴内=松之助

第五期歌舞伎座初の「忠臣蔵」の通し。前回師直を勤めた富十郎、同年代の芝翫らが鬼籍に入った。だが、予想外だったのは前回判官を勤めた勘三郎も前年十二月に亡くなり、追い打ちをかけるようにこの年三月に団十郎も他界。そして二年後には三津五郎までも・・・・。新しい歌舞伎座では勘三郎の巧みな芝居、団十郎のスケール大きな芝居、三津五郎の規矩正しい時代物を存分に楽しもうと思っていた目論見はあっけなく破れてしまった。

「進物場」。幕開きは「時太鼓」。茶色味の鞘の伴内。「右足を出したらバッサリ」 目釘を湿らせたあと、両手は大小に添えながら右足を出す。仲間が「バッサリ」とやるので、「今じゃないわい」といい、足を束に戻して右手で肩衣をしごき、右足を上げて片足立ちで即見得という手順。本蔵の目録を読もうと歩むところで、右足を踏み出さないように引きずりながら歩くおかしみを見せる。右足をもて扱う松之助に愛嬌がある。いつもの「敷居が高うござる」ではなく、「夜露はお身の(扇を拡げ、柝の頭)お毒にござるぞ」と言って、白扇を本蔵の頭へかざしながら門内へ。璃珏がやったという珍しい演り方を見せてくれた。

「喧嘩場」。梅玉の若狭之助。知性が先立つこの人には若狭之助の熱気は感じられない。三階からは花道の出が見えないので、映像を見返すと、揚幕から出てきた時と、三段に腰を折ってから七三にかかり、右膝をポンと打って見込むところにかかるまでの足取りが全く差がなくノンビリとしたものだ。これから師直を斬り殺すという、あたりまえの流れすら疑いたくなるほどで、そうした覇気というか熱量の乏しさは敏感に観客へ届く。「馬鹿な侍だ」で引っ込む。

判官は菊五郎。師直は雪洞に透かし見て「見事、見事」と独り言のように手跡を誉め、一度目は頭から声を出し読み、二度目も頭から音読して「コリャコレ新古今の歌」となる。

左団次は「御前の方はお構いないじゃまで」とかのセリフも時代に張らず。張らないから芝居にアクセントがなくノベタラと続くような感じに陥る。芝居が平坦だから判官が激してこない。判官に同情する。

また、とにかく驚いたのは、文箱と雪洞を上手の襖の方へ派手に滑らせて片付ける。不機嫌な様は汲み取れるが、あまりにも悪目立ちしている。後見に片付けさせるか、後ろに隠す程度で十分。

「挙句の果てが橋杭へ鼻っ柱をぶっつけて」で自身の額を軽く打ち、「トドのつまりがお廊下の大臣柱へ鼻っ柱をぶっつけて」で判官の胸を打つ。打つのだが”ピシャリ”という芝居っ気が乏しい。体がまだ不自由という訳でもないのだから、もっと芝居をしてもらわないと困る。

平成28年10月 国立劇場 開場五十周年記念
高師直左團次 塩冶判官=梅玉 若狭之助=錦之助 伴内=橘太郎 勘平=扇雀 おかる=高麗蔵

完全通しということで、「足利館門前」、「同 松の間刃傷」、「同 裏門」という構成。橘太郎の伴内。「エヘン、バッサリ」と「敷居が高うござる」の演り方。本蔵は半無精せずに團蔵がこの場にも出る。進物場の後、いわゆる「文使い」になる。判官を乗せた駕籠と従う扇雀の勘平が出る。黒の小袖に上下で高股立をとる。よく本で見聞きした羽左衛門風の水際立つ勘平とは味わいの異なる、柔らかみがあり、ぼったりとした線の色気は、脇の甘さを感じさせて面白い。奥へ入ると、〽地謡の声播磨潟、高砂の浦につきにけり」。奴に提灯をもたせ、花道より矢絣の高麗蔵のおかるが文箱を持ってでる。〽どじょう踏む」で奥より伴内が出て、おかるの目を隠して「鷲の隣の鷺坂伴内じゃ」と言うおかしみ。私は個人的に地味な役者が大好きで、高麗蔵も好きなひとの一人。三段目とは言いながらおかるという大きな役を勤めてくれたのは嬉しい。余談だが高麗蔵で記憶に残っているのは平成24年11月同じく国立劇場で「鈴ヶ森」の権八。九代目幸四郎の長兵衛相手に色若衆の役柄にはまっていた。幸四郎の偉い所は常に自身の一門の役者を引きたてるところだ。
道具廻って「喧嘩場」。〽襖の陰には本蔵が」で本蔵は姿を見せず。錦之助の若狭。イキ十分。師直がひたすら平伏するのはその通りかもしれないが、時々顔を見てやらないと若狭の錦之助が踏み込んで芝居を出来ない。終始下を向いたままで進行するなか、ただ平伏したままのを是とする評もあるが、起伏がなく観客としてはダレる。「バババ、馬鹿な侍だ」といって引っ込む。

梅玉の判官。花道より文箱を持参して出る。音羽屋系の判官しか知らないから、演り方が違うので良いものを見た気がした。(※パンフレットには七代目梅幸から手取り足取り教わったとあるが)そのあとは一通り。左團次の師直にセリフの締りがなく、つまり時代に張るところもあまり張らないので、足取りの悪さとメリハリの無さに退屈した。今回も文箱と雪洞を後ろへ雑に片付けるところが悪目立ちした。

「裏門」。おかる勘平の焦りと、橘太郎の伴内が道化ぶりに対照の妙がある。

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番外編(自分の目で見られなかった舞台)

昭和52年11月 歌舞伎座 高師直=2松緑 塩冶判官=7梅幸 若狭之助=17羽左衛門 伴内=子団次
本蔵=5九蔵

「進物場」。幕開きは「時太鼓」、朱鞘の伴内。「エヘンバッサリ」と「敷居が高うござる」の演り方。〽手ぐすね引いて待ちかけたり」は右足を前に踏み出し、束に戻して右手で肩衣をしごきながら、左手は刀の鐔あたりを持って、首を小さくひねるようにしてツケ入の見得。

「喧嘩場」。若狭の羽左衛門は、花道から出て本舞台上手を睨みながら、逆七三で腰を三段にかがめるが両手はだらんと下がっている。ジリジリと二、三足を寄ってから、歩を進め七三で左片膝をつき、片膝立てた右膝頭ポンとを打って上手を見込むのが、〽待つとも知らず」の一杯。引っ込みは「プッ」と吐くだけ。

松緑の師直。難を逃れ「馬鹿より怖い・・」の台詞のあと、「床几を持て」と師直が云うと、伴内が葛桶を持って来てそれに腰かける。些細なことだが見た様として、力関係は歴然だ。多言を要せず、視覚的に起伏をつくる努力を昔の役者はしていたのだろう。(茶坊主から文箱を判官に渡され、「手づから」文箱の受け渡しの時に葛桶は片付ける。)

茶坊主から文箱を渡され師直へ。「御免くだされ」と断って、置いてある雪洞に透かし見て、お見事と褒めてから、一度目はさなきだにと頭から声を出してスラスラと読む、二度目は時代に張って頭から読んで「コリャコレ新古今の歌、この古歌に添削とは」となる。以降始終師直は膝立ちをしている。即ち絵面的には師直が判官より大きく見えている。「橋杭へ鼻っ柱をぶっつけて」では師直自身の頭を中啓で軽く打つ。「お廊下の柱へ鼻っ柱をぶっつけて」では、判官の胸を中啓で叩く。

梅幸の判官。このひとの演技が昭和の模範的判官として深く尊敬されていたことに思いを馳せて鑑賞した。

昭和61年2月 歌舞伎座 高師直富十郎 塩冶判官=芝翫 若狭之助=團十郎 伴内=市村吉五郎

「進物場」。幕開きは「時太鼓」。市村吉五郎の伴内、三里当が赤いのが変わっている。鞘は茶色味。「右足を出したらバッサリ」の演り方。仲間への稽古は、最初はノロノロとしているのを叱り、二度目は右足を出していないのにバッサリといくので早すぎると叱り、(「身共の体が宙に浮いてしまうわ」ということを言う。)三度目で「出来た、加古川本蔵これへと申せ」となる。〽手ぐすね引いて」は、目釘を湿らせて、右足を踏み出し(ツケ入)、束に戻しながら右手肩衣をしごいて、左手は大刀を抱えてツケ入りの見得。「敷居が高うござる」で引込む。本蔵は澤村昌之助。

若狭之助は團十郎。上手を睨み逆七三で一度止まり、腰を一度落としてにじり寄る。七三までスタスタと早足にて歩み、片膝立した右膝をポンと打つのが〽待つとも知らず」。〽襖の陰には本蔵は」のところで本蔵は姿を見せるが拝む仕科はしない。「馬鹿な侍ェだ」で引込む。

富十郎の師直。合引は用いず。

芝翫の判官。文箱は茶坊主が持ってくる。師直は「御免くだされ」と断って雪洞に近づけ(中啓は持たない)、一度目より頭から声を出して読むと、「こりゃ新古今の歌、この古歌に添削とは」となる。つまり二度読まない。鮒のたとえでは「後学のために聞かっせい」という時、判官の方へ体を向け、完全に客席に対して横向きとなる。その後は正面向きに戻るが。「挙句の果てが橋杭へ鼻っ柱をぶっつけて」は中啓で判官の胸を打つ。(つまり後に通常なら「手前の詰所はいずれへござる」などと嘲る台詞があって、判官自身のことを指して「トドのつまりがお廊下の大臣柱へ鼻っ柱をぶっつけて」と罵倒しここで中啓を判官に当てるが、この部分がカットされている。)なので、すぐに「鮒侍だ」となる。〽と出放題」のいつもの極りでツケが入っていない。

〽判官腹に据えかねて」で右手を震わせるだけで滑らせない。師直を斬った後は、本蔵を見て、拳を握り震わせ口惜しき思い。

平成7年2月 歌舞伎座 松竹百年記念
高師直羽左衛門 塩冶判官=菊五郎 若狭之助=富十郎 伴内=吉弥

「進物場」。幕開きは「時太鼓」。茶色味の鞘の伴内。「エヘンバッサリ」「敷居が高うござる」の演り方。伴内は役柄的には半道敵と言われるが、その表現が巧みである。〽手ぐすね引いて待ちかけたり」は、目釘を湿らせたあと、大小を両手で(左手は大刀、右手は小刀)抱えながら右足を踏み出し、束に戻して、左の刀は脇ほどまで上げて抱え込み、右手は小刀の鐔あたりに添え、右足を上げて片足立ちをしてツケ入りの見得。加古川本蔵は錦吾。

※吉弥の伴内には上方風(璃珏の演り方など)が入っている評があるが、これは私には判らない、お分かりの方は教えてほしい。

「喧嘩場」。富十郎の若狭之助。上手を睨みながら出て一息に七三まで歩み、時計廻りに揚幕を振り返り一廻り。片膝立した右膝をポンと打つのが〽待つとも知らず」。一番変わっていたのが若狭の引っ込みである。富十郎超一流の口跡にウットリさせられた。珍しいので以下にセリフを抜粋。

「執頭、それへ出い、ツっと出い、さきの鶴ヶ岡において、この若狭助を小身者と侮って、出るがままの悪口雑言、堪忍の臍をかみしが、武士の一分相立たねば、こんにちこの場において、ただ一刀に切り捨てんと思いしに、武士たるものが帯刀を投げい出し、犬蹲になって詫びを致すとは、(時代に張って)武蔵守は犬侍だ、身不肖ながら若狭助、犬切る刀持ち申さぬ、ばばばば馬鹿な侍だ」早舞にて引っ込む。
家の断絶を覚悟した人間としてはあれくらい言わなければ済まないだろうし、富十郎の芸そのものを味わうことができた。これはタテ詞風に立板に水で言わないと意味をなさない。是非この演り方に続く人が現れて欲しいものだ。今なら彦三郎あたりにそうした口跡の良さを披露してもらいたい。

判官を待つ間に伴内へ雪洞でなく、手燭を用意させる。師直は合引は用いない。

※本当に火のついた手燭を使うのは評判が悪い。時間の推移を見せる工夫のなのかもしれないが、そこだけリアルで邪魔になってる。第一に近くに後見も居ないので危ない。薄縁が焦げた日もあったそうだ。

補足)此場で伴内に手燭を持たせて出るのは、勿論正七つ(今の午前四時)の暁の寅の刻を見せたのですが、その蝋燭の灯で顔世の短冊を読む事にしてあって、眼鏡を遣うのもありますけれど、跡で邪魔になるでしょう。(『藝』改造社 昭和24年7月30日)

と記しており、羽左衛門はこうした六代目の演り方で演ったまでのことなのだろう。

菊五郎の判官。言うまでもなく文箱は茶坊主に持たせる。ゆらめく手燭に短冊を透かし、「これは見事なご手跡でござるな」と判官へ言う。一、二度黙読して首を捻り、声は張らず、独り言のように頭から音読する。「こりゃこれ新古今の歌、その歌に添削とは」になる。「御前の方はお構いないじゃいまで」と罵って、師直自身で手燭の火を消し、文箱とともに後ろへ苛立ちを込めて滑らすように片付けるが、左団次もこれをしていた。羽左衛門が師なわけだから同じようにやるのだろうが、左団次がこれをしたのを見た時にその雑さと時代物にも関わらず、師直が”片付ける”という行為に疑問を感じていた。羽左衛門がそのように処理していたとこの映像から知ったが、ここは松緑のようにそっと後ろに隠すか或は、富十郎のように後見に処理させるかでいいのではないかと思う。

「トドのつまりが橋杭へ鼻っ柱をぶっつけて」で判官の胸を中啓で打つ。「トドのつまりがお廊下の大臣柱へ鼻っ柱をぶっつけて」は”鼻っ柱”で自身の鼻を中啓で差し、”ぶっつけて”で判官の胸を中啓で叩く。

菊五郎の塩冶判官。素敵な判官である。

 

平成14年10月 歌舞伎座 高師直吉右衛門 塩冶判官=3鴈治郎 若狭之助=勘九郎 伴内=吉弥

「進物場」。幕開きは「調べ」。茶色味の鞘の伴内。「エヘンバッサリ」、「敷居が高うござる」の演り方。〽手ぐすね引いて待ちかけたり」は、目釘を湿らせたあと、大小を両手で(左手は大刀、右手は小刀)抱えながら右足を踏み出し、束に戻して、左の刀は脇ほどまで上げて抱え込み、右手は小刀の鐔あたりに置いてツケ入の見得。本蔵は嵐橘三郎

「刃傷」。勘九郎の若狭、本舞台上手を睨みながら逆七三で一度止まり、〽長袴の紐締めくくり」で紐を締める仕科をし、袴を引きつけつかみながらスタスタと花道付け際まで向かい、反時計回りに揚幕を振り返り、本舞台を見込み、左手で刀を握りその場で右膝を立て、ポンと右膝打って見込む。「馬鹿な」と言って引っ込む。

吉右衛門の師直は合引は使わない。文箱は茶坊主が持ってくる。「御免くだされ」と判官に断り、短冊を見ると「お見事、お見事」と独り言のように手跡を褒め、判官にも「お見事じゃなア、お見事」と褒める。一度目から声を出して頭から読み、二度目も同じくらいの声で頭から読んで「この古歌に添削とは」となる。師直自ら文箱を封を閉じ、雪洞と一緒に後ろへ片付ける。「橋杭へ鼻っ柱をぶっつけて」で自分の頭を軽く打ち、「お廊下の柱へ鼻っ柱をぶっつけて」では判官の胸を中啓で打つ。鴈治郎の判官。〽判官腹に据えかねて」で手を滑らせることはせず、ジッと揚幕の方を向き師直の芝居を受ける。

「本性なら御身ゃどうするのだ」の処は師直は立って横向きに判官と向き合う。(「髪結新三」の大家と新三のように。)

幕切れ、伸ばした手を閉じ震わせるが、泣くような様子は見せない。怒りで震えて言葉にならない声でウウッと唸り声を上げる。

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